プレートアーマーの画像

 人体の胸部、あるいは全身を覆う金属板で構成された鎧。金属板で構成されるため、板金鎧(ばんきんよろい)とも呼ばれる。鎖帷子を下地とした限りなく密閉型の板金鎧は中世ヨーロッパ以降に登場するが、青銅製のものであれば、古代ギリシャ時代から見ることができる。この頃の青銅鎧は、主に重装歩兵が着用し、頭、胸部、脛以外の部分はむき出しの部分が多かったため防御が完全ではなく、盾を装備することで防御力を補った。

 板金鎧は、全身に固い装甲をすることで人体の防衛力を高めようとしたもので、鎧という概念の一つの最終形態と考えることができる。こういった防御力を追求した装備の発達は、それに対する武器の発生も促し、「矛と盾の競争」は、現代も兵器と装甲の関係に姿を変えて延々と続いている。

 このような様式の発生には、騎馬により敵陣へ切り込む戦法が関わっている。この戦い方では、通常の正面からの切り合い以外にも、側面からの矢やフレイルなど回り込んでくる武器による攻撃に晒されるため、重量があっても耐久力のある鎧が用いられた。

 マスケット銃の登場により、鋼鉄の板金でも弾の貫通を防ぐことができず、次第に頭と胸部のみを守る方向に変化し、それも無駄だと判明すると、ついにはヘルメットのみが残る結果となった。


【選ばれた者の装備?】
 板金加工技術が進んで、軽量化が行われた17世紀では20kg前後で収まるようになったが、それ以前のものでは、鎖帷子を含め装備重量は30〜50kgを超える事もままあった。時代を下って開発された「焼入れ」により、強固さを増したスプリング鋼の甲冑は、厚みが半分ほどで非常に軽量でありながら十分な防御力も持っていたが、これは当時の最先端技術でもあることから、非常に高価で、ごく限られた裕福な王族・貴族にのみ利用された。

 これらの鎧は、基本的に体にフィットしたものが用いられ、よくフィットしたプレートアーマーは、活動の自由をそれほど妨げない。だが、そういった運動性を維持するためには、完全に個人の体型に合わせたオーダーメイドで製作されなければならない。全身鎧は、新規で買うなり作らせるなりすると、大変に高価なものとなったため、鎧を先代から受け継ぐなどして次代の体にあわせて改造し再使用した事も多々あったという。

 このような事情もあり、一般兵が略奪品以外でプレートアーマーを身に付けることはほとんどなく、農兵程度ではレザーアーマーが利用され、一般の歩兵ではチェインメイル、スケイルアーマーなど、より簡易で安価な鎧を利用していた。

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