トップページへ 別サイトへのリンクページへ 古代の歩兵の画像

 馬に乗って戦闘するためには必須の鐙(あぶみ)が発明されておらず、車輪もようやく発明されたばかりの古代社会においては、騎兵部隊や戦車部隊といった兵種はごく限られた貴族が担当するのが常であり、騎馬民族を除くほとんどの文明の主力の部隊は歩兵だった。

 そもそも新大陸や太平洋の諸島のように、車輪どころか馬とその他の大型の家畜すら知らない文明では、歩兵のみが戦力であり、機動力や突進力、補給物資の運搬能力で大きく劣っていた。それは、外の世界から車輪や大型の家畜が持ち込まれるまで、それこそ現代に至るまで続いた。

 古代ギリシア時代、ポリス(都市国家)の市民を担い手とする重装歩兵が誕生し、彼らが密集隊形を組んで戦う戦術(ファランクス)が用いられるようになった。この革新的な戦術は、ペルシャ戦争において数的に勝るペルシャ軍を何度も打ち破った事で、その勇名を広めた。そして、アレクサンドロス大王の時代にヘタイロイを中核とするマケドニア軍の騎兵戦術と合体し、東方に一大帝国を築き上げる強力な戦力となった。

 その後の時代、覇権を握る事になる古代ローマ帝国は、ギリシャと同じ市民兵制度であり、騎兵の安定供給が難しいなどよく似た環境に存在していた事から、初めは自然とファランクスを模倣していた。しかし、騎兵を活用したカルタゴ軍との戦いや、散兵戦術を取るガリア軍との戦いの中で次第に独自の戦術を編み出していき、こうした努力はレギオンというより洗練された編制、隊形、指揮系統を持つ戦術に繋がっていった。また、その構成要員も数千人にまで達するようになり、非戦闘員である鍛冶屋や娼婦まで従軍するという、壮大な規模なものとなった。



■重装歩兵

 古代ギリシャのポリスより発生した重装備の歩兵。青銅製の兜、胴、脛当てで身を固め、投擲用の槍と近接用の短剣、大型の盾で武装していた。密集して運用すれば高い決戦能力を有したことから、長きに渡って軍の主力として運用された。

 古代から中世にかけて、陣形を組めるだけの大量の重装歩兵をまかなえる財力を持つ国家が減少する一方、重武装ながら機動性の高い騎兵が登場することで、歴史から姿を消す。後に、銃兵の護衛である重槍兵「コルスレット」として部分的に復活する。



■軽装歩兵

 主に、重装甲では取り扱いが難しい射撃武器を担当する歩兵。鎧はレザー(皮)製品のものを着用し、弓、弩、投石器などの運用を行う。また機動性に優れることから、重装歩兵の密集陣形の死角となる側面や背面の防衛を受け持った。



■軽装騎兵

 古代の騎兵は鐙や鞍といった馬具がなかったため、戦力としては非常に不安定だった(落馬が多かった)。運用方法としては、主に機動性による奇襲やとどめに用いられた。

 地域によって武装が若干異なり、広大な平地に住む騎馬民族は主に弓と皮鎧で武装しており、馬上から弓を撃つ特殊技能に精通していた。また敵の重装歩兵との正面対決は避け、側面や背面からの奇襲攻撃を主な戦術としていた。
 一方、古代ギリシャにおいては、陣形が崩れた敵に対するとどめの突撃などを行うため、槍や長剣で武装しており、皮鎧も通常のものより頑丈なものが用いられていた。またローマ帝国の騎兵部隊は、比較的軽い金属製の鎖帷子(チェインメイル)を着用していたが、これは貫通攻撃(矢や槍の突き)に弱いという弱点があった。



■散兵

 戦列を組まず、散開して遠距離射撃を担当する歩兵。猟兵とも呼ばれる。弓兵が担当し、主力の重装歩兵同士がぶつかり合う前に敵の密集陣に牽制射撃を行い、隊列を乱すことが目的だった。
 現代の戦場では密な戦列を組むことがないため、散兵と呼ぶことはない(歩兵全員が散兵になったとも言える)。


inserted by FC2 system